初めてのお葬式(もっとも心に残る小さいころの思い出)

  3歳ぐらいのとき、父方の祖母が亡くなった。夏だった。危篤の知らせを受け、横浜の団地から、田舎へ親子4人で向かう。当時でも死ぬことは永遠のお別 れで、好きだったり大切だったりする人ともう会えないのは悲しいことだって何となく知っていた。おばあちゃんとは、そう何回も会っていないので、ピンとこ なかったが、もし今ママと2度と会えなくなったらって考えたら、それだけで涙がいっぱい出てくる出来事なのだ、、、と、3歳であっても想像できた。
  私と父、母と弟というふうに途中ではぐれてしまい、夜の列車で田舎に向かう。普段から無口で取っ付きにくかった父に、こういうときどう接していいかわ からない。普段わがままをいう相手は母なので、なにも言葉にできない。ただ、父ともはぐれてしまわないように手をしっかり握っていた気がする。
  病院で昏睡状態の祖母を見舞う。医者である父は容態を聞く叔父に診断を促されると、まるで何事でもないように、”だめだね”と一言いった。(だめだ ねって、、、自分のお母さんでしょー。もっと泣いたりしないわけー??と、びっくりした。あのとき父はどういう気持ちだったのか、父はどういう人だったの か、、、その父も亡くなってしまった。)
  着いて翌日か、翌々日ぐらいに祖母は亡くなった。お葬式がはじまる。そして、焼場にいく。その日は快晴だった。”おばあちゃんどうするの?” ”焼い てけむりになるんだよ” ”.......” ”まさこちゃんも隣にいれちゃおうか” 親戚のお兄さんが冗談をいう。でも、子供には冗談に受け取れな い。”え!?” 能面のように顔がこわばる。自分の死を意識した最初の瞬間。みんなでお骨を骨壺にいれる。
  横浜に帰ってからしばらく”死ぬってなんだろう?” ”もしかしたら今の私の生活は昏睡状態のおばあさんの私がみている夢じゃないかしら” ”もしそうならおばあさんはどんな様子で寝ているんだろう”と、たくさんたくさん考えた。
  でも母や父には聞けなかった。生きるってただただ大人のいう”おりこうさん”だの、”かわいいよ”という言葉に象徴されるような楽しくって甘い(ス イートな)ものだけではないらしい、、、と感じ、さらに父母に聞けない質問は、私を他の人から、世界から切り離した。孤独を感じた。その一方で、温もり や、人とつながった感じ、大人からの”かわいいよ”ではない対等ななにか、が欲しかった。そうして私は、はやく父や母に追い付いて、同化してでも生き延び ようと思ったのかもしれない。自分の幼さ、弱さ、命のはかなさは、”まさこちゃんも隣にいれちゃおうか”に象徴されている。お兄ちゃんがその気になればわ けなくお棺に入れられていた。幼年期、思春期から青年期にかけて、自分の価値観をつくり出そうともがきながら、その実さかんに母の価値観を取り入れ、自分 が同化しようとしたことも、この出来事と関係があったのかもしれない。